つくりもんまつりの歴史
「福岡町つくりもんまつり」の由来について
まつりのルーツ *参考
(1)お盆から8月いっぱいの間町内各地で行なわれた地蔵まつりがルーツ。
村の青年団や子供達が地域の地蔵を一軒の家に集め、五穀豊穣を感謝して餅や野菜、果物、お菓子等お供えしたものが、やがて秋の収穫物の野菜や果物を民話の動物に見立てた「つくりもの」として姿を変えお供えする郷土色豊かな伝統行事となった。
(2)伝統300余年のつくりもんまつりのルーツは、お盆から8月いっぱいの間、村々で行われた地蔵まつりであるとされています。
地蔵まつりとは、村の青年団や子供たちが地蔵を一軒の家に移し、餅、野菜、果物、菓子などをお供えしました。
やがて、五穀豊穣を感謝して秋の収穫物を供えたことから、毎年9月23日、24日に祭りが定着。長い歳月を経て、供えられた野菜は姿を変え「つくりもん」となり、今では全国に”奇祭“として知られる観光名物となっています。
野菜、果物、草花を利用して趣向を凝らした作品は、その年の話題や行事をテーマに時代を反映し福岡のまちに素朴でユーモラスな庶民芸術の風情を醸し出しています。
(3)福岡では昔から、衆生の苦しみを祓い、町内の道端で静かに見守っていらっしゃるお地蔵様を、青年団や子供たちが1軒の家に集めて、老若男女が、餅・野菜・果物・お菓子等をお供えし、また夜にはご詠歌を唱えるなどして供養したり、死者の霊を慰め土地の守護を祈った「地蔵まつり」という行事がルーツとされています。地蔵信仰が盛んな頃、毎月24日(お盆の24日は地蔵の縁日)に地蔵講を行っていました。これが地蔵まつりとなって、村の年中行事になったのだろうと考えられます。
福岡町上向田・土屋・福岡では、地蔵まつりの余興として、五穀豊穣を感謝して秋の収穫物をお供えした作り物の催しがあったそうで、土屋のものは江戸時代からあり、近在にも有名でした。福岡の作り物は明治初年頃より土屋の伝統を受け継ぎ、催されるようになりました。福岡は地主が多く裕福だったので、素晴らしい道具や衣類を持ち寄り、錦の帯の紅葉・朱塗りのお椀で作った日光の橋・岩を蚊帳で表現していたそうです
長い歳月を経てお供えされた作り物は、戦後野菜に姿を変え「つくりもん」となり、今では全国に奇祭として知られる観光行事になっています。
はじまりから経過
江戸時代(300有余年前)にて高岡市福岡町土屋地域において、藁で実物大の「つくりもの」を用いて(5~6体)製作して田んぼに展示し、手製の花火を打ち上げて盛大に催されたのが始まり。
昭和30年代には、格子戸を外した民家の座敷等に飾られ、出来栄えを競い合うコンクール形式となり優秀作品が表彰された。
それによって、「つくりもの」の技術が競われ、内容が工夫されるなど、見る人を楽しませる行事に変化した。
昭和40年代になってから屋外に展示され、名前も「つくりもん」と呼ばれるようになり、昭和43年にNHKテレビなどで全国に紹介されてから更に祭りが大きくなった。
今では、約10万人以上ものお客様が訪れるほど、地域の大イベントになっている。
名称の変化
- 地蔵まつり
- 観光地蔵まつり
- つくりものまつり
- 福岡町つくりもんまつり
受賞歴
福岡町つくりもんまつり実行委員会 受賞歴等
- H18(2006年)-第27回 サントリー地域文化賞受賞
- H19(2007年)-第60回 北日本文化功労賞受賞
- H24(2012年)-第 3回 地域再生大賞「優秀賞」受賞
- H25(2013年)-国立民族学博物館(大阪府吹田市)に10年間「福岡つくりもんまつり野菜一式飾り」展示
- H29(2017年)-第21回ふるさとイベント大賞 内閣総理大臣賞受賞